木綿市を握った新来の庄屋家に着せられた狐持ち
どんな伝承か
田中屋喜十は宮前新田の開発を成功させ、天明三年には松江藩から木綿市の開設と木綿取引一切を田中屋名義で行う独占権を与えられ、庄屋として村の政治的支配権も握った。文化二年には田中屋を通さぬ木綿取引を禁じる触書まで出させている。ところが文化六年十二月、後ろ盾の木次屋こと木村弥三左衛門直安が大阪へ立ち退いて没落すると、喜十は家督を子の宇十郎に譲って隠居した。積年の反感を抱いた土着農民は、当時流行していた狐持ちの汚名を田中屋に与えて村八分にし、田中屋系図にも「悪人輩のため無実の虚妄説にかかる」と記された。
原典より
さらに、木次屋がする高利貸業による土地没収に伴う農民の木次屋に対する反感が、直接木次屋へは行かず、寧ろ、田中屋喜十に集中していたのです。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。