鬼三郎を王仁三郎と名乗る
どんな伝承か
上田喜三郎が神示によって鬼三郎と改名することになったのは、明治三十三年のことであった。これは、神が現代社会の悪の見本として『乱れた世のやりかた』を彼に演じさせ、人々にそれを見て改心させるため、彼を悪の代表・象徴として示そうとしたためだと言われる。しかし当人とすれば、いかに神の仰せでも『鬼』はあまりにひどいというので、みずからオニを『王仁』と読ませることにして王仁三郎と名乗った。ゆえに彼の場合、『王仁』はワニではなく、オニと読むのが正しいということになる。
原典より
だから彼の場合、『王仁』はワニと読むべきではなく、オニと読むのが正しいということになる。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。