大正十年立替え説の行き過ぎ
どんな伝承か
大本教では、立替え立直しの時期をめぐって、浅野和三郎や友清九吾、のちに生長の家をおこす谷口雅春(正治)らが、大正十年前後を最後の審判の正念場と読み、日米開戦や世界の大騒動が切迫していると唱えた。当時は第一次大戦後の世界の動揺や米騒動、スペイン風邪の流行など、立替え立直しの前夜を思わせる時代状況があった。しかし彼らの推論は早すぎたのであり、その内容はずっと後の太平洋戦争末期に的中したとされる。真の立替え立直しの時期は天機に属し、筆さきにも『このことはなおにも知らさぬぞよ』と明記されていた。予言の時期的解釈を誤ることは、予言全体を冒瀆しかねない危うさをはらんでいた。
原典より
ただし、時期の判断を誤ったというか、この推論はずっと後の、太平洋戦争末期に適中した。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。