草を食べる型と戦時の食糧難
どんな伝承か
大本の信徒たちは「世の立替えが来る、食べることのできぬ世が来る」との筆さきを信じ、その「型」を身をもって演じた。役員は蓑笠に木綿着物で弥仙山や元伊勢、大江山と諸方の神々を巡拝し、山では樫の実を拾い、タンポポやりょうぶ、嫁菜、せりなど食べられる草を一切合切集めて豆の葉の雑炊をすすった。一軒に七家族が住み、日本米の飯はめったに口に入らなかった。役場の人は「金神さんの人はみな狂人になった、道の草まで食べるのか」と嘲ったが、その窮乏はのちの太平洋戦争末期の食糧難として現実になったと、著者は予言の実演と見ている。
原典より
その時に役場の人が『金神さんの人はみな狂人になりた。道に生えている草まで食べるのか。困ったものができた』というておられたそうであります。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。