飛鉢に従って飛んだ米俵と櫓
どんな伝承か
元明天皇の和銅五年、泰澄和尚が三十一歳のころのことという。出羽国から年貢の米を運ぶ船が西の海に浮かんでいたところへ、飛ぶ鉢を用いて斎米を乞うた。船頭の神部浄定は、運ぶ米には定めの数があり、智徳の高い僧が凡俗からむさぼるものではないと言って、鉢を海へ投げ入れた。すると鉢は空へ舞い上がって医王山へ飛び帰り、続いて船中の米俵も櫓も櫂も、鳥のように医王山へ飛びついた。浄定は名を改めて浄定行者となり、和尚の左右の手、左右の眼と頼まれる身になったという。俵や櫓の飛びついた場所を、今も俵飛の里と名づけている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第6巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第6巻』所収の「文化叙事伝説」全44話(福井・富山・石川=北陸)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。