朝鮮の信使が尋ねた百貫島の石塔
どんな伝承か
広島県福山市鞆町、『鞆記』が伝える。後陽成院の御代、慶長元年に朝鮮国王から遣わされた遊撃将軍が、秀吉への信使として海を渡ってきた。鞆の浦に着いて福禅寺に泊まり、東に見える島の名を尋ねると、百貫島だと答えられた。その名の由来として、鰐に岸へ追い詰められて足を食いちぎられ、そのまま命を落とした者があり、その折に百貫の金をもって亡骸を弔い、十一重の石塔を建てたのが今も残っているのだと語られた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第10巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第10巻』は、全国の伝説を型ごとに分けて集めた叢書の一巻である。岡山・広島・山口の三県を伝承地とし、蘇民将来、吉備津彦と温羅、厚狭の寝太郎、化け猫、河童駒引き、夜泣き石、姥棄て山などの伝説を、聞き書きや市町村誌、民話集から採って収める。「文化叙事伝説」と「自然説明伝説」の部に分けて番号順に並べ、各話には伝承地と本文のあとに〔類話〕と近世の地誌などを引く〔文献〕を添える。