熊倉山城の攻防と意玄の最期
どんな伝承か
塩沢城は島村近江を大将とする寄手に大ヶ谷沢から夜襲されて落ち、意玄は荒川村白久の熊倉山に陣を移した。風土記稿によれば山上には本城跡や堀切、井戸跡らしい窪みを持つ平地が残り、城の水は熊倉山の谷の七ッ滝から樋で引いていたが、小幡の陣がその水の道を断って攻めたと土地では語る。この城も甲州勢に落とされ、意玄は黒谷の方へ逃れたものの瑞巌寺の岩窟で捕らえられたとも自害したともいい、時は永正十一年八月とされる。荒川村日向の熊野神社の獅子舞は、かつて城山に招かれて演じたと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父の伝説と方言
『秩父の伝説と方言』は、秩父市教育長鶴沢福松の序を付し、編集委員が執筆整理にあたって編んだ秩父地方の伝説と方言の集成である。秩父市と秩父郡に伝わる伝説を集め、武甲山麓のジジイ・ババア石、橋立鍾乳洞の悪龍、畠山重忠や坂上田村麻呂にまつわる話、伐ると祟る天狗松などを語り口調で記す。伝説は石・水・塚・屋敷跡・山と人物・地名・社寺および城跡・木に関する八つの部に分け、話によっては他地方の類話を注記する。