兄弟の憤死と笹川の大般若
どんな伝承か
貞享二年三月、笹川の百姓弥五兵衛が肥を運ぶ途中、誤って仙台藩士の体に触れてしまった。武士は無礼なりと怒り、弥五兵衛を斬り殺した。これを知った弟の市三郎は、兄の仕返しにと親類数人とともにこの武士を追い、争いのすえ討ち果たしたが、自らも深手を負って二日後に死んだ。この一件で笹川の庄屋と問屋は役儀御免となったという。兄弟の憤死以来、笹川では三月六日を厄日と称し、安全祈願と二人の供養のため、年々大般若を営むことになったと伝えられる。供養碑は笹川の上ノ台にある。
原典より
貞享二年三月、江戸時代の昔、笹川の百姓、弥五兵衛は肥を運搬中に、誤まって仙台藩士の体に触れてしまったという。—— 郡山の伝説(ふるさとの文化財調査事業・昭和六十一年(1986)刊/監修 大島建彦) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(ふるさとの文化財調査事業・昭和六十一年(1986)刊/監修 大島建彦)
福島県郡山市(旧安積郡・田村郡域、湖南・熱海・三穂田・逢瀬・西田・中田ほか各町)に伝わる伝説を、木/石・岩/水/塚/坂・峠・山/祠堂/家・村/祭礼・行事の八部門に分類して集成する。坂上田村麻呂や阿古陀媛・采女伝説・萩姫、源義家ら前九年の役の人物伝承、淵や池の主・龍神・河童、弘法大師の清水、稲荷・観音・地蔵の霊験、長者伝説や埋蔵金、隠れキリシタンなど、郡山の地に根ざした怪異・霊験・由来譚を伝承地つきで網羅する。