愛馬の面を埋めた馬頭観音堂
どんな伝承か
馬頭の見柳山が尽きる処に馬頭観音堂が建立されている。社の周りは巨杉が鬱蒼として昼なお暗かったが、近年伐採されて荘厳さを失った。そこから少し南に下った所に別当寺の薬王寺がある。馬頭観音は八百九十九年前の康平元年、源頼義が奥州征伐の折に戦勝を祈願し、観音像と愛馬の面とを石櫃に入れてこの地に埋め、その上に堂宇を建てたと伝えられ、昔は馬頭明神として祀られていた。霊験あらたかで遠近から賽客が多かったという。古文書によれば、上杉景勝が会津から米沢へ来た慶長六年に大聖寺の寺号を亀岡へ返し、元和三年までは吉祥山大聖寺と称したが、後に薬王寺と改めたと記される。
原典より
馬頭の見柳山が尽きる処に馬頭観音堂が建立されてあります。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。