義民を送った道の屋代郷六地蔵
どんな伝承か
屋代郷の義民として名高い二井宿の高梨利右エ門は、ひそかに郷を抜け出して江戸へのぼり、幾度も直訴や門訴を重ねたが取り上げられず、ついに葵の紋章と菊桐の紋を私用して訴えを通した。しかし国法を犯した罪で上杉家へ引き渡され、元祿二年七月三日、二井宿の一の坂で磔にされた。米沢の牢から二井宿へ護送される道中、村々では老若男女が街道の両側に並び、涙を流して見送ったという。その後、享保年間になって長手村の豪農白石道石が、名主や村人が籠を迎えて休んだ六か所――川井の桃源院門前、長手の天神前、馬頭の十字路、亀岡下部落、泉岡の松岩院門前、二井宿の刑場跡――に六地蔵を刻んで建て、供養した。
原典より
屋代郷の義民として有名な二井宿の高梨利右工門は、苦辛をしてひそかに屋代郷をしのび出て江戸へ行き、幾度も直訴や門訴をしましたが取り上げられず、万策尽きて葵の紋章と菊桐の紋を私用して、遂に成功しました。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。