松岩院の織田家士の墓
どんな伝承か
明和四年八月、織田信長の孫信浮は上州小幡から高畠へ移され、高畠城に入城した。そして高畠・小郡山・泉岡・柏木目・相の森・塩森の六か村を領していたが、天保二年八月に天童へ移されて天童城に入った。そうした経緯から、織田家士の墓が泉岡の松岩院にある。今は他へ移されているが、もとは全部で十二基あった。正面には吉田三右エ門守証、天明八戊申年五月二十三日とあり、傍らに吉田源五右エ門、北方から順に山木源左工門・藤原晴見・吉田平八・山木源太夫・吉田五左工門守政・石丸源氏基安・石丸甚五郎平是秀の名が刻まれる。松岩院は織田氏の菩提寺で、庭園は沢庵禅師の設計と伝えられる。
原典より
明和四年八月、織田信長の孫信浮は、上州小幡から高畠へと移され、高畠城に入城しました。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。