成田山の縁起と寛朝の調伏護摩
どんな伝承か
『利根川図志』が伝える成田山新勝寺の縁起である。天慶二年に相馬将門が乱を起こしたとき、朝廷は広沢遍照寺の寛朝僧正に調伏の法を修するよう命じた。僧正は不動の尊像を奉じて難波津から海路をとり、将門の新都に近いこの地で調伏の護摩を修したところ、たちまち感応が現れ、翌三年二月に将門は誅せられた。その後、僧正が尊像を奉じて都へ帰ろうとすると、像は急に重くなって持ち上がらず、また霊夢の告げもあったので永くこの地に留めることになり、勅により伽藍を建てて高雄山にならい神護新勝寺と号したという。著者は寛朝の経歴と年代の食い違いを指摘しつつ、将門の本拠に近い地の調伏が縁起伝説に発展した例と見ている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。