秀郷の子を祟った将門と佐倉の将門大明神
どんな伝承か
千葉県印旛郡佐倉の将門大明神は、『佐倉風土記』などによれば、将門の滅亡後の天禄年間(九七〇〜二)に始まる。秀郷の第三子と第四子が相次いで将門の怨霊の祟りで病死したため、秀郷が老臣の安部左衛門佐に命じて将門の霊を祀らせたのが起こりで、御霊信仰に基づく社とされる。この地は江戸時代の義民佐倉宗吾の生地に近く、強訴の際に村民が集まって相談した場所と伝え、宗吾の処刑後はその霊を合祀して口宮大明神と称したという。領主堀田正信が寄進した「平親王将門神社」と刻む石の鳥居が今も残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。