弘法大師が水を消した水無川
どんな伝承か
丹沢の塔ヶ岳から秦野盆地を流れる水無川は、昔は渡し舟でなければ渡れないほど水が多かった。父の急病を知って駆けつけた若者が、路銀が尽きたので後で払うと頼んだが、強欲な船頭は乗せず、泳げない若者は歩いて渡ろうとして流され溺れ死んだ。後に通りかかった弘法大師が船頭に因果応報を説くと、船頭は竿で大師の頭を打った。大師は上流の川の中ほどに錫杖を突き立てて経を唱え、川の水は残らずその穴に吸い込まれて渡し場は涸れ河原になった。船頭は行方知れずとなり、以後この川を水無川と呼ぶという。実際は砂礫層で水が伏流するためだと著者は添える。
原典より
びっくりしているうちにとうとう上流からの川の水は全部その穴から地下にもぐって渡し舟のあるあたりはすっかり涸れ河原になってしまった。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。