範頼と平兵衛に由来する追浜と鉈切
どんな伝承か
梶原景時の軍勢に襲われた源範頼は、かろうじて危地を脱し、ひそかに山越えして東海岸へ逃れた。上総に落ちるつもりで小舟をこぎ出したが、海が荒れて流され、千葉には渡れず現在の横須賀市追浜の海岸に打ち上げられてしまった。ここで危地を救ったのは土地の漁師で平兵衛という者で、範頼とその部下四人を裏山のほら穴にかくまった。しかし範頼の脱出を知った幕府が探索の手を広げたので、範頼主従は平兵衛も連れて金沢の薬師寺に入り、ついに自殺したという。この伝説では、追浜という地名は範頼が追われて浜に上がったからつき、追浜の近くの鉈切という場所は、平兵衛が追ってきた捕吏を手にした鉈で切り殺したからついたのだと語られている。
原典より
この伝説では、追浜という地名は、範頼が”追われて浜にあがった”からついたといい、…—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。