銚子塚と赤穂浪士
どんな伝承か
元禄十四年、浅野家が取りつぶされて江戸屋敷を立ち退くことになると、平間の称名寺の向かいに住む豪農軽部五兵衛は、出入りの縁から村人と馬を連れて手伝い、困る藩士に自宅への滞在を申し出た。およそ一年後から五兵衛の家は赤穂浪士の密議の場となり、隣村の大工喜右衛門が屋敷内に浪士のための家を建てた。討ち入りの前には大石蔵之助もここに身を寄せ、村人と別れの酒を酌み交わして江戸へ発ったという。討ち入り成功の知らせに村人は赤飯を炊いて祝い、喜右衛門は浪士から贈られた銚子を白木の箱に納めて庭に埋め、上に社を建てた。これが平間駅近くの銚子塚だと伝える。
原典より
水につながる伝説 四七デイラボッチとじんだら沼(相模原市渕野辺) 五五—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。