佐野宗綱の出陣(死地谷戸)
どんな伝承か
別説で宗綱が夜中に出陣し閑馬葛和田まで進むと、出陣をいさめた槍持がその怒りに触れ手打ちにされ川原を赤く染めた。また馬に遅れぬよう尾に紐で結ばれた槍持が疲れ血を吐いて死んだともいい地名の由来とされる。
原典より
唐沢山城主佐野宗綱は、飛駒根古屋城主小野兵部高吉・高重兄弟が足利の長尾顕長の家臣によって謀殺され、その勢力が佐野家の領地を脅かす状勢にあるので、一挙に足利に攻め入ろうとした。—— 田沼町史 第1巻(田沼町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(田沼町)
『田沼町史 第1巻』は、田沼町が編んだ町史の一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。蛙鳴かずの池や京路戸山の大蛇などの怪異の話、唐沢山城の佐野氏や藤原秀郷、足利忠綱にまつわる話、義民の山神や源十郎石祠、根本山神社などの寺社縁起を、町内の各地に即して記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分け、ことわざの節は五十音順に並べるが、いの項の途中で切れている。