安達盛長の首塚と伝わる土呂の黒塚
どんな伝承か
大宮市土呂、いまのさいたま市北区土呂町に、黒塚という小名の所がある。『新編武蔵風土記稿』は、九郎塚や蔵人頭塚とも書き、昔は塚があったが謂われはもう分からないと記す。『大宮市史』によると、ここには安達藤九郎盛長の首塚だという説が古くからあり、大正時代に大砂土村の村長小島善作が碑を建てて顕彰した。古老の話では瓢箪形の塚だったといい、前方後円墳だったのかもしれないが、道路の改修で崩された。盛長の十九代の孫の宮内正重が母方の縁で植田谷郷の小島家に入り、小島義重の跡継ぎになったと伝わるのが、盛長と大宮の縁だという。
原典より
『大宮市史』によると、この黒塚には安達藤九郎盛長の首塚だという説が昔からあったという。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。