兜巾鈴懸で乗り込んだ一人の法印
どんな伝承か
明治五年に修験の職は廃された。関東の山伏の多くが神主や農家になっていくなか、日向の谷山家は作州津山の在から潰れ寺の名跡を買い、龍仙寺として引き移った。修験派を独立させようという運動が起こった初期、東京は神田の電車の交差点の近くで、全国の行人たちが大集会を催したことがある。そこへ兜巾鈴懸の昔のままの姿で現れ、期成同盟に加わったのは、この龍仙寺の法印ただ一人であったという。自分の寺は旧藩主の時代からこの装束で寺禄を受け祈祷を務めてきた、世間に憚る道理はないと言い切ったと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。