戸建沢で炭を焼いた藤太の系図
どんな伝承か
津軽ではこの炭焼の話を伯爵家の系図の中に編み入れている。第四代左衛門尉頼秀、幼名は藤太、元仁元年九月生まれ。六歳の年に父秀直が安東勢と津軽野に戦って討死したので、乳母に助けられて姉の夫である橘次信次のもとに匿れた。橘次は新城の豪族で、黄金を採掘して売り富を築いた人である。橘次は藤太を常人と同じように使役して敵を欺こうと、戸建沢の山中へ遣って炭を焼かせた。それゆえ人は炭焼藤太と呼んだという。民間では、近衛殿の女福姫がもとはひどい醜女であったが、津軽にさすらい来てある川の水を浴びるとたちまち美女になり、のちに炭焼藤太に嫁いだと語られている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。