蟬鳴く越喜来湾に帰る若い水兵
どんな伝承か
汽船が越喜来の湾へ入ると、右手の茂った山から蟬の声が盛んに聞こえた。教えてくれたのは乗客の若い水兵で、目の細い頬の紅い太った青年である。水兵の親たちは湾口に近い崎浜という部落に住んでいた。その日は旧暦の七日盆で、餅でも搗くだろうと思われる家が南向きの沢に一軒残らず顔を出しており、彼の家の屋根も見えるはずであった。今度で二度目の休暇だが、慰労と合わせて十七日の休暇のうち往復に五日近くつぶれるという。崎浜は汽船の着く浦浜からさらに一里二十五町あり、蟬の鳴く日盛りの山を二つ越えて行かねばならなかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。