不動山を嫌った神明さまの祟り
どんな伝承か
広袴には以前六つの小社があり、いずれも妙全院の管理下にあった。うち一つの神明社は近世この村の産土だったが、明治末年の神社合祀で能ヶ谷の社へ吸収される。村人は社地を売らずに残し、不動さまの境内へ石の祠を建てて自分たちだけの祭を続けた。ところが近ごろ村に病人や不幸が相次いだため、神明さまが不動山にいるのを好まぬのだと衆議が一決し、祠は元の社地へ戻された。それでも小さな石祠だけでは足りないというので、祭典のほうは今も不動堂の中で営まれている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。