天明の飢饉と道に累々たる白骨
どんな伝承か
菅江真澄は旧八月の初め、海岸伝いに奥州へ入り、津軽南端の木蓮子の坂、境明神の前に立って遠望した。津軽はその前々年の天明卯年が大飢饉で、多くの窮民がさまよって路傍に死んでいた。どこを歩いても草の陰に累々たる白骨が見られ、おまけにその秋も風雨ばかり多く人心が戦々としている中へ、真澄は何も知らずに入り込んだのである。青森の善知鳥神社で占った後、浅虫から小湊の近くまで行くと、飢えた漂泊者の群が目も当てられぬ姿で岡を越えて来るのに行き逢った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。