善知鳥神社の三年を待てとの神告
どんな伝承か
菅江真澄は津軽南端から奥州へ入り、青森の善知鳥神社に詣でて蝦夷渡海の可否を占った。すると今は凶、三年を待てとの御告げがあった。そこで真澄は、それならばこの間に奥州を一巡りしようと考え、浅虫から小湊の近くまで歩いて飢饉の惨状に行き逢う。やがて再び弘前まで引き返し、碇ヶ関の陣場を越えて同じ月の末には比内の山村へ入ったのである。神告のとおり、真澄が蝦夷地へ渡るのはこの三年の後のことであった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。