十十里合戦の討死と首塚
どんな伝承か
武田方別働隊を率いた小山田信茂の軍が北条勢を挟撃し、北条方は瀧山城指して敗走した。この中で金指平左衛門と野村源兵衛の両名は踏みとどまって奮戦したが、衆寡敵せず討死したという。信茂はこの戦いで討ち取った二百五十一の首級を弔うため、下長房字中郷に首塚を築いて納めた。この合戦の二日後、勝ちに乗じた武田勢は瀧山城を襲い、さらに小田原へと侵入したと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。