石川弾正の討死と烏帽子石
どんな伝承か
二本松市百目木の名目津には、城主の最期にまつわる二つの名が残る。百目木城主の石川弾正は伊達政宗に攻められて城を逃れたが、名目津の切り通しで馬から落ち、名目津橋のたもとで討たれたと伝えられる。橋のそばにある烏帽子石は、そのとき弾正が烏帽子を置いた石だとしてこの名がついた。また近隣の人々がこの場所で焼香したことから、名目津橋は香炉橋とも呼ばれるようになったという。百目木の日下部善兵衛が伝えた。
原典より
百目木城主石川弾正は、伊達政宗に攻められて逃がれたが、名目津地内の切り通しで落馬し、名目津橋のたもとで討死したという。—— 岩代町史 第4巻(岩代町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岩代町史 第4巻(岩代町)
『岩代町史 第4巻』は、岩代町の町史の一巻のうち、伝説を扱った第三節を収めたものである。片葉のヨシ、おつる池、鐙が淵のカッパ、座頭橋、狐狸と猫が踊った踊壇など、東新殿・田沢・西勝田・百目木ほか町内各地の地名の由来や、源義経・八幡太郎義家・伊達政宗にまつわる伝説を集める。冒頭で伝説の特色と三分類を述べ、続いて一話ごとに地区名を添えた小見出しを立て、話者名や『小浜町郷土読本』などの出典を記す。