梶川与惣兵衛をはばかり減らした石段
どんな伝承か
唱行寺には梶川与惣兵衛の祖父母の墓がある。梶川家はこの寺の檀家で、この辺りに土地を持っていたという。境内の石段はもとは九十八段あったが、四十七士に遠慮して四十六段に減らしたと伝わる。刃傷を押さえたことで加増されたものの評判が悪くなり、与惣兵衛はここにいられなくなって、本人の墓は東京の寺にあるという。本当によいことをした人が悪く言われるのだと話者は語る。
原典より
――梶川与惣兵衛の(祖父母の)お墓がここにあるってゆうのは、ここが、ここの、檀家だったんですか?(和爾)檀家だった。—— 市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年))
『市川の伝承民話 第7集』は、市川民話の会が調査・編集し、市川市教育委員会が平成十一年に発行した民話資料集である。平成四年度から六年度にかけて市川市の柏井・須和田・宮久保・原木・稲荷木と国分高校ほかで行った採訪の聞き書きを、話者の息継ぎや方言を残したまま収める。世間話・伝説・昔話・唄と諺・年中行事・生活譚・現代若者の学校話の七部に分け、巻末に話者紹介と会員の採訪記、あとがきを付す。