稲荷木分教場と祖父の尽力
どんな伝承か
稲荷木で聞いた学校の思い出。語り手の祖父でんじろうは議員を務めた人で、江戸川放水路ができて幼い子どもが遠くの学校まで通えなくなったため、骨を折って地元に分教場を設けさせたという。稲荷木・大和田・大洲の三部落の子はこの稲荷木分教場で四年生まで学び、一・二年と三・四年がそれぞれ同じ教室で机を並べた。五年からは行徳の本校へ移ったが、分教場の出身者は成績がよく級長になる者が多かったので、いじめもほとんどなかったと語り手は振り返る。上下の学年が兄弟のように育ったため結束が強く、今でも皆から名前で呼ばれるという。
原典より
で、かなり、稲荷木じゃねえ、実力あったんだよねえ家のお爺ちゃんもねえ。—— 市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年))
『市川の伝承民話 第7集』は、市川民話の会が調査・編集し、市川市教育委員会が平成十一年に発行した民話資料集である。平成四年度から六年度にかけて市川市の柏井・須和田・宮久保・原木・稲荷木と国分高校ほかで行った採訪の聞き書きを、話者の息継ぎや方言を残したまま収める。世間話・伝説・昔話・唄と諺・年中行事・生活譚・現代若者の学校話の七部に分け、巻末に話者紹介と会員の採訪記、あとがきを付す。