トウモロコシを植えない姫塚の由来
どんな伝承か
市原市には、トウモロコシにまつわる戦国時代の哀しい話が伝わっている。南総の雀ヶ崎の近く、養老川を隔てたところに、姫塚と呼ばれる二つの塚がある。永禄七年、北条氏政に攻められた池和田城の城主多賀蔵人の奥方は、城が落ちる寸前に一人の女を連れて城を抜け出した。ところが一息つく間もなく、背後の畑でトウモロコシの葉がざわざわと鳴り、追っ手が迫ったと思い込んだ二人は逃げ場を失い、その場で自害してしまった。はかなく死んだ二人を悼んで里人が二つの塚を築き姫塚と呼ぶようになり、それ以来、二人を死に追いやったトウモロコシを植えないという。
原典より
トウモロコシにまつわる戦国の世の哀話が市原市に伝えられている。—— 房総の年輪 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
房総の年輪
『房総の年輪』は、房総各地の伝説・昔話・信仰の伝承地を一項ずつ取り上げた短い文章を集めたもので、著者と刊行の事情は原典に記されていない。香取の要石や真間の手古奈堂、松虫姫、源頼朝や義経の伝説地、沈鐘伝説、椀貸伝説、河童や天狗、海の怪異「もうれん」などを、『譚海』『上総国誌稿』や市町村の民話集を引きながら所在地とともに記す。各項は読み切りの小文で、昭和四十五年と四十七年の年頭に書かれた項を含む。