古墳を使って築かれた高田の富士塚
どんな伝承か
早稲田大学商法研究部の建物が建つ場所には、かつて富塚古墳があった。この古墳を利用して富士塚を築いたのが高田藤四郎で、日行とも称し、墓は宝泉寺にある。表に日行墓、裏に天明二年五月十七日と刻まれている。藤四郎は宝永三年に京都府北部で生まれ、十一歳で江戸に上って戸塚に住み、植木屋を営んだ。十六歳で食行身禄の弟子となり、師と別れたのちは身禄同行という信仰の結社を組織する。これが富士講の起こりだという。富士山には五十七度登り、やがて山中の三昧堂で静かに入定したと伝えられる。
原典より
時代 江戸時代 宝永三年(一七〇六)早稲田大学商法研究部建物の敷地のところには、富塚古墳があった。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会・1969年(昭和44年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会・1969年(昭和44年))
『新宿と伝説』は、新宿区教育委員会が昭和四十四年に編んだ区内の伝説集である。カッパが出る坂、四谷怪談のお岩、矢来町の化け石、女幽霊が掘った清水など、牛込・四谷・戸塚大久保・新宿・淀橋柏木落合の各地に伝わる六十二の伝説を、江戸の地誌や随筆などから採って収める。第一章で伝説の分布と型を概説し、第二章では地域別に、各話へ場所・時代・出典・解説・参考書を添える。