近江舞子の道に消えた世界の桜
どんな伝承か
大正七、八年頃の話。陸の孤島と称された湖西は、太湖汽船の一日三往復の船便で浜大津に出るほか道がなかった。比良山系や麓の産物は、湖上までは川や馬や人の背で運び、五十石船や湖上イカダで大津や大阪へ送られていた。当時の小松村長木原久蔵は村一番の財産をなげうって、比良山系とその背後の葛川や朽木村の物資を湖に繋ぐ国道雄松―黒谷線の着手に政府を動かし、大正七年に第一期として雄松から揚梅滝までを開通させた。雄松は現在の近江舞子である。この挙に感動した巌谷小波や桜守の笹部新太郎が、四キロあまりの道の両脇に一本ずつ異なる世界中の桜を植えた。しかし土地の人びとが田圃の陰になるからと切り倒し、消滅させてしまった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
現代民話考 9 (木霊・蛇)(松谷みよ子・現代民話考・昭和〜平成)