生き埋めの馬王とマモウ石
どんな伝承か
平安時代のころ、天皇の怒りを買ったある皇子が、小野篁を慕って菅谷へ移り住んだという。人々は皇子をあがめてその住まいを神屋敷と呼び、妃の住んだ所を宮内、皇子が切り開いた畑を君畑と名づけた。のちに君畑の人々は、その名は恐れ多いとして畑中に改めたという。皇子の家来には唐から来た馬王という者がいて馬の世話を務めていたが、しくじりを咎められて生き埋めにされた。哀れんだ村人は大きな石を据えてマモウ石と呼んだ。石は割れて今は無いが、のちに馬頭観音が祀られ、人々の信心を集めているという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
滝根町史 第3巻 (民俗編)
『滝根町史 第3巻(民俗編)』の口承文芸の節から伝説を抜き出したものである。福島県田村市滝根町(菅谷・神俣・広瀬)の大滝根山の田村麿と大滝丸、入水寺の観音、小野小町の伝え、鶴ヶ池物語、人柱茂左衛門、曽富登神社、六句の坊、片手観音、三本足の鳥、姥捨山などを収める。古い村誌の文語の引用と聞き書きの口語が混じる。