境争いに敗れ生き埋めの精九郎
どんな伝承か
神俣と隣の川内村との境にある精九郎壇のいわれ。数百年前、両村の間で境界をめぐる争いが起こり、双方が代表を出して言い分を戦わせた。負けた側の代表はその境に生き埋めにするという取り決めだった。論争の末に川内村の代表の精九郎が敗れ、約束どおり首だけを地上に出して埋められた。命が続くあいだ、両村の者が交代で食べ物を運んだという。精九郎は、村のために埋められるのだから両村から見える所に埋めて碑を建ててほしいと言い残した。碑は建たなかったが、哀れんだ両村の人々が石垣を築き小石を積んで霊を祀り、今も通る人は小石を拾って積んでいくという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
滝根町史 第3巻 (民俗編)
『滝根町史 第3巻(民俗編)』の口承文芸の節から伝説を抜き出したものである。福島県田村市滝根町(菅谷・神俣・広瀬)の大滝根山の田村麿と大滝丸、入水寺の観音、小野小町の伝え、鶴ヶ池物語、人柱茂左衛門、曽富登神社、六句の坊、片手観音、三本足の鳥、姥捨山などを収める。古い村誌の文語の引用と聞き書きの口語が混じる。