山盛り飯の禁忌と亡霊船
どんな伝承か
明治四十三年旧八月二十一日、牡鹿郡女川町塚浜の木村幸吉が所有する大型船稲荷丸が、船長安藤伝五郎ら十五名を乗せて鰹一本釣りに出帆した。船中の朝飯のとき、若者の米倉悟が後輩の丹野甚吉に、仏前に供えるように箸を突き立てた山盛り飯を差しだして争いになりかけ、夕飯には甚吉が同じことをやり返した。翌二十三日、金華山沖で時化に遭って船は転覆し、この二人だけが水死した。その夜、灯をつけた船が舷灯を左右逆につけて全速力で突進してきたので、老船長が燃えさしの薪を投げつけると、船はぱっと消えたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城県史 民俗編(茂木徳郎(「妖怪 幽霊」の章)・宮城県史シリーズ)
『宮城県史 民俗編』は宮城県の県史の民俗編で、ここに収めるのは茂木徳郎が執筆した章「妖怪 幽霊」である。山・道・木・水・海・雪・家など出現の場所による分類に沿って妖怪変化を論じ、幽霊とヒトダマ・死霊・生霊の観念を考えたうえで、県内の妖怪・幽霊・動物変化の伝承を郡・町村名を添えて集める。序説・本論・事例篇・参考の順に並び、序説では昭和二十四年の迷信調査と昭和三十年のNHK仙台中央放送局の調査にも触れる。