夜の家々に投げ込まれた天照皇大神の札
どんな伝承か
藩都の広島では、竹原に比べるとこの騒ぎはいくらか穏やかだったらしい。応変隊・報国隊・一新隊といった農兵や町兵の部隊が近郊でたびたび訓練をしており、町には物騒がしい空気が漂っていた。そうしたなか、町の人々の間では神札が降るという話がしきりに語られ、実際に「天照皇大神」と書かれた菱形や剣の形の紙の札が、夜のあいだに家々へ投げ込まれたこともあったという。王政復古のころには「エイジャナイカ」の俗謡もはやり、世の不安と人々の放心ぶりを映したものとみられている。
原典より
町民の間にも「神札が降る」ということが言いふるされて、実際に、菱形や剣形の紙に「天照皇大神」と書かれた札が、夜のうちに家々に投入れられたこともあった。—— 尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史)
『尾道市史 -新修-第2巻』は、第二十一節「「お札降り」と「ええじゃないか」」だけを収めた抜粋である。慶応三年の冬、尾道で伊勢大神宮などの御札が降ったとして町中が踊り騒いだ一件を、尾道一宮社文書、芸藩の会計係の「尾道出張日記」、友松山荘の「伝家録」で示し、竹原下市の頼家の日記や書状、広島の例と比べる。後半は学界の諸説を紹介し、栗田年誌から米価の高騰や竹原の打ちこわし、栗原村の徒党の記録を引いて、世直しの動きとの関わりを論じる。