銀座通りの無人境とマッチを貸した亡霊
どんな伝承か
初夏の午後二時ごろ、松井忠吉は白靴に白ズボンという軽装で銀座を歩いていた。資生堂で珈琲を飲み、通りへ出て煙草をくわえたが、火が無い。舌打ちしていると人ごみの中から岡田に肩を叩かれ、燐寸を借りる。岡田は袂で風よけを作って火を点けさせ、会釈すると人波へ消えた。呼び止めても姿はない。ふと気づくと通りから人も自転車も自動車も電車も失せ、一町ほどが誰もいない別世界になっている。線路のあたりから旋風が起こり、赤と白の宣伝ビラが空へ舞い上がった。そのとき忠吉は、岡田の通夜にも葬式にも出た身だと思い出す。手の煙草に火はついておらず、我に返ると往来はいつもの銀座通りだった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖奇怪談集(山門王吉・1936年(昭和11年))
『妖奇怪談集』は、山門王吉が著し、東亞書房が昭和十一年七月七日に発行した怪談集である。序に言うとおり、白昼の銀座で死んだはずの友人にマッチを借りる話や円タクに乗る亡霊、トンネルの狂女など、当時の実話に取材した新感覚の話を主とし、旧来の型の話を二篇添える。巻頭の「怪談コント一束」は闇の声や消えた女など七つの小話から成り、続いて「銀座の悪夢」から「生首を盗む女」まで七篇を収め、巻末に奥付と同書房の満洲案内書などの広告を載せる。