家数が三分の一に減った天保の飢饉
どんな伝承か
東北一帯を襲った天明と天保の大飢饉は、その悲惨さでよく知られている。天保の大飢饉では、守山領でも飢えと疫病、および潰れ退転すなわち破産して村を離れる者とで、村むらの家数がじつに三分の一ほどに減ってしまったと記録されている。守山領は阿武隈山地の西麓と阿武隈川の間に開けた純農村地帯で、寒冷地であるうえに山がちで水の便が悪く、多くは谷間の清水を用いて灌漑していたため、冷害や干ばつを受けやすい貧しい領地であった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情(昼田源四郎・昭和中期(推定))
本書は江戸時代の陸奥奥州守山藩領における『御用留帳』を史料とした、近世農村の医療事情と心霊現象の研究である。狐憑きや物付きなどの精神疾患が、祈禱や指籠入れ(座敷牢)によって治療された実例を14件詳述する。天明・天保の飢饉や流行疫病(疱瘡、麻疹、コレラ等)への対応と並行して、乱心者の社会的処遇、責任能力の鑑別問題、欠落(逃亡)との区別が論じられている。