寝床に現れて消える若い男
どんな伝承か
幕末のころ、本郷の某寺の傍に新三郎という男が住んでいた。上州あたりへ織物を仕入れに行き、近在の小さな呉服屋へ卸すのが生業である。ある年の秋、新三郎が旅に出た留守を、女房のお滝が十三の一人息子新一と仲働きの老婆とで守っていた。寝心地のよい晩、表座敷でぐっすり眠っていたお滝は妙な感触に驚いて飛び起きた。有明行灯の薄明かりに、今まで自分と並んで寝ていたらしい若い男の姿がある。肩をつかもうとすると男はひらりと起き、にっと笑って奥へ行き、追っても姿はなかった。障子も襖も開いた音はせず、戸締まりも宵のままだった。翌晩は老婆を奥に寝かせたが、その老婆も襖の隙間から、お滝と並んで寝る男の頭を見た。
原典より
本郷の某寺の傍に新三郎と云う男が住んでいたが、その新三郎は生得耐心でいつも上州あたりへ織物の買い出しに往って、それを東京近在の小さな呉服屋へ卸していた。—— 日本の怪談(田中貢太郎・河出文庫・1985年(昭和60年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の怪談(田中貢太郎・河出文庫・1985年(昭和60年))
『日本の怪談』は、田中貢太郎の怪談を昭和四十五年桃源社刊『日本怪談全集』から抜き出した文庫本で、昭和六十年十二月に河出書房新社から発行された。「宝蔵の短刀」「八人みさきの話」など土佐の城下や村の話をはじめ、江戸・京・吉野などを舞台にした幽霊・狐狸・猿・魔物の話を、会話の多い語り口で収める。二十七篇の後に尾崎秀樹の解説を付し、高知に生まれた作者の生涯と怪談・妖異譚への傾倒をたどっている。