死後五十日目に現れた祖父の諭し
どんな伝承か
市ヶ谷の降霊会で、霊媒の口を借りた著者の亡父笠井吉夫は、死後のことをこう語った。長年金光教を信じ、神のもとへ行くつもりで死んだが、残した家族のことが気がかりで、長く住んだ家をなかなか離れられなかった。死後五十日ほどたったある日、父の勘太郎がひょっこり現れ、いつまで娑婆のことばかり気にしているのか、きっぱり思い切れと諭したので、ようやく心が決まった。その後、父と連れ立って行くと道が二手に分かれ、仏教で祀られた勘太郎とは別の道を進んだ先に、金光教の信者が集まる大きな修行所があったという。
原典より
死後五十日ばかり経った或る日、思い掛けなくも、わしの父親勘太郎―――お前たちのお祖父さんがわしのおるところへひょっこり出て来られてナ…—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。