繰り返し記された天之日月神の名
どんな伝承か
青山原宿の高井邸で行われた扶乩の実験は、組を替えて繰り返された。二回目は小川喜一と森崎鉄男が乩木を支え、砂の上には日月のかみと現れた。これで神名だと判り、以後の組でもひつきの神、天之日月神といった語が繰り返し書かれた。天之の二字はアメノとも読めるとその場で了解されたが、声に出して重ねた問いには何ひとつ返事が書かれなかった。乩木を支えた者はいずれも霊的な修行の経験がなく、棒が強く動くたびに、高井は相棒が引いたのだと思い、五十嵐夫人は押されるままにしていたと語ったという。岡本天明は、聞いたこともない尊げな名を自ら名乗るのは狐狸か野天狗のような下級霊の仕業に決まっていると一同を戒めた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。