筆先の筆蹟が二十五年間不変
どんな伝承か
大正七年夏に綾部の大本を訪れた元新聞記者の今井梅軒は、お筆先は幹部が教祖に口述して書かせた偽作ではないかと疑い、出口王仁三郎が来た明治三十二年と浅野和三郎が来た大正六年のそれぞれ前後にあたる神諭の原本を借り出して見比べた。すると明治二十五年から大正七年までの筆跡は、版木で刷ったかのように同じ書体で、上達も衰えも見えず、世界経綸を説く雄大な文章も幹部の入信以前から変わらぬ力強さで記されていたという。
原典より
第一驚くべきことには、二十五年以来大正七年までの筆蹟が、まるきり木板ででも刷れたかのように同じ書体で、上手にもなってるなければ、下手にもなってゐないのです。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。