篠田教授と父・嫂の相次ぐ三つの死
どんな伝承か
大正七年の暮れから翌年二月までのわずかな間に、著者は身近な三人を相次いで失った。十二月十二日、スペイン語の主任教授篠田賢易が大森山王の自宅で亡くなり、その十日ほど後には岡山の父が腎臓炎で危篤となった。長兄と帰郷して看病したものの、父は大晦日の夕方に六十三歳で世を去った。さらに二月には嫂がスペインかぜにかかり、順天堂病院に入院して数日で亡くなった。それまで死を真剣に考えたことのなかった著者は、この出来事に深く戸惑ったという。
原典より
そこへ突如として現れた、相次ぐ三つの死を前にして、私がどんなに戸惑ったか、皆さんご想像いただけましょう。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。