田中光顕が父に書き送った大阪の踊り
どんな伝承か
維新の直前、天誅組騒動のころ、のちに宮内大臣となる土佐の田中光顕は、郷里の父に宛てた手紙のなかで、大阪でええじゃないか踊りの群れに巻き込まれたことや、京都で花嫁が空から降ったという噂を伝え、こうした怪しい出来事は切支丹の魔法によるのではないかと書き添えている。著者は、京都の河原町に江戸日本橋の良家の花嫁が空から降り、町の人に介抱されて実家へ送り届けられたという記録も読んだ覚えがあると述べ、田中の伝えた噂がそれと同じかどうかは分からないとしている。
原典より
また、後に宮内大臣になった田中光顕伯が維新直前、かの天誅組騒動の頃、郷里(土佐)の父親に宛てて書き送った書翰の中で、…—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。