神明宮を襲われ三宅島へ遠流
どんな伝承か
梅田村の学者神主として井上正鉄の名は高まり、遠方からわざわざ参る者も少なくなかった。天保十二年になると大名家の面々までが貧しい庶民に交じって続々と入信したため、奉行所は幕府への謀叛が潜んでいるのではないかと疑いをかける。腕利きの手先だった伊藤常吉は門人になるふりをして神明宮に赴き、怪しければ直ちに捕らえるつもりで教義を聴いたが、正鉄は早くも胸中を見抜き、誠意をつくして神の尊さを説いた。常吉は涙を流して過去を詫び、その場で入門を願い出たという。だが数か月後の十一月二十四日、寺社奉行の与力同心が神明宮を襲い、正鉄は連行されて伝馬町の揚屋に入れられ、二度の取り調べの末に三宅島への遠流を申し渡された。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)