士分取立ての直前に急死した元義
どんな伝承か
平賀元義には、門人の中山縫殿之助の推挙で、士分に召し抱えられる話が進んでいた。元義が上道郡大多羅村の縫殿之助の家に滞在していたとき、岡山藩主池田茂政の内命を受けた使者が訪れ、先祖平賀七蔵の名跡として士分に取り立て、新たに三百石を与えると伝えた。元義は翌年正月四日に岡山城でお目見えすると答え、衣服などの支度に追われた。さらに別の門人の口ききで、黒住宗忠の孫宗篤の師範と黒住教の顧問も頼まれ、新春からの出勤が決まった。長年の貧窮がようやく報われようとしたその矢先、晴れの登城を七日後に控えて、元義は路上で急死したのである。
原典より
晴れの登城を七日後に控えてのこの惨事であった。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。