明賢さんと慕われた山伏の急死
どんな伝承か
放浪の末、天保八年の秋の暮れに二十九歳で長滝村へ戻った市兵衛は、父が帰りを待ちわびたまま寂しく亡くなったと聞いて慟哭した。以後は心を入れ替えて修験者として暮らし、たちまち評判を取った。本名は市三郎で、大和・伊賀に名高い十一人の先達の一人、体重十八貫五百の大男で、法号を理性院聖誉明賢と称し緋の衣をまとった。依頼人からは明賢さんと慕われたが、鋭い眼光を女子どもは怖がったという。大峯山にこもって修行を重ね、祈祷で叶わぬことはないと信じられて十里四方に名をとどろかせたが、明治三年七月十八日の夜、盆踊りから帰るなり急死した。
原典より
明治三年七月十八日の夜十時頃、盆踊りから帰るなり、ぽっこり死んだ。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。