胸の上に乗った血わたを引く女の首
どんな伝承か
七月三日の夜十二時ごろ、稲生平太郎の家では行灯がたちまち石塔に変わり、その下から火が燃え上がったが、やがて元の行灯に戻った。笑って寝ていた平太郎が夜更けに目を覚ますと、全身汗まみれで胸の上が重い。障子明かりにすかして見ると、青白い大きな女の首が、切り口から長い血わたを引きずり、気味の悪い目つきで薄笑いを浮かべて胸に乗っていた。払いのけても蚊帳の隅で隙をうかがい、また飛び乗ってくるので、平太郎は一晩中眠れなかった。女の首は鳥の鳴くころにようやく消え去ったという。
原典より
扱夜ふけて目を覚ましけるに、惣身汗になり、胸の上に何やらん有て重く覺えしゆゑ、障子あかりにすかし見れば、大きなる女の首の色は青白く、切口より長き血わたを引出し、氣味の悪しき眼つきにて、少し笑ひながら胸の上に居れり。—— 日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路)
『日本の幽霊たち――怨念の系譜』は、阿部正路が書きおろした日本文学の幽霊論で、刊行は日貿出版社が手がけた。『竹取物語』『源氏物語』『平家物語』などの物語、『日本霊異記』から『遠野物語』『聴耳草紙』に至る説話、能と歌舞伎、さらに三遊亭円朝・泉鏡花・森鴎外・小泉八雲らの近代の作品に現れる幽霊をたどり、怨念の系譜として読み解く。第一章で幽霊の時・季節・姿・場・目的を論じ、終章で稲生屋敷の物怪や百鬼夜行など幽霊の周辺に及ぶ。