弘法大師を拒んだ能地の浜の餅禁忌
どんな伝承か
能地の浜に、あるとき弘法大師が伊予から難船して上陸したことがあった。大師がある家に立ち寄って餅を所望したところ、その家の者は餅は搗けないと嘘をついて断ってしまった。その後この浜では、餅を搗くと変事が起こるようになり、昭和のはじめ頃まで餅を搗かずにいたという。木原町赤石と中之町光谷にも餅を搗かぬ風習があった。赤石では、昔この地にあった大工五郎神社の神主が、大晦日に正月餅を仕掛けたまま年の暮れの祓いに回っていたところ、竈から火が出て赤石の大半を焼失させたため、以来大火に懲りて正月餅を搗かなくなったと伝えられる。
原典より
その後浜では、餅を搗くと変事が起こるようになり、昭和のはじめごろまで餅を搗かずにいたという。—— 三原市史 第7巻 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三原市史 第7巻 民俗編
『三原市史 第7巻 民俗編』は、三原市の市史の民俗編のうち「三 伝説」の節だけを収めた部分で、番号を付けた十二の伝説から成る。糸崎八幡宮の神馬を祀った馬神塚、夜泣きの松、福島正則の命で伐られた大楠、山ん婆の足跡、蛇のヤムシロ、餅を搗かない家、干拓の人柱となった甚五郎など、市内各地の伝説を収める。各話の末尾に「書出帳」『三原志稿』『三原昔話』『沼田地方の伝説』や土地の伝承など、拠った資料を記す。