脚気病院で競った洋漢の脚気角力
どんな伝承か
明治六年に徴兵令が出されると、兵士のあいだで脚気が集団で発生した。当時、脚気は日本の風土病とみなされ、西洋医には有効な治療法がなかった。政府は明治十一年七月、神田神保町に府立の脚気病院を設け、患者を二組に分けて、佐々木東洋・小林恒の西洋医と、今村良庵・遠田澄庵の皇漢医にそれぞれ受け持たせ、治療の成果を比べた。軍配は長年の経験を持つ漢方に上がったが、開業医の遠田は治療法を明かすよう求められると秘法だとして断り、その頑なさは識者の物笑いになった。世間を沸かせたこの勝負は〈洋漢の脚気角力〉と呼ばれる。
原典より
しかし兵士の質にかかわることであり放置できないと判断した政府は、西洋医と皇漢医の確執を背景に、明治一一年七月、神田神保町に府立の「脚気病院」を開設するとともに、…—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。