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三密の極意を伝えて滝へ身を投じた師

所在地和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山(那智の滝)
年代熊蔵十七歳の正月過ぎ
登場熊蔵、実川上人
出典霊術家の饗宴

どんな伝承か

熊蔵が十七歳の正月を迎え、十津川へ向かう支度をしていた荒れ吹く日、実川師は滝に出るぞと言って本滝の落口の水垢離場へ向かった。巻物を取りに走らされた熊蔵が戻ると、師は岩の上で、今の呼び声が経文、手招きが印、呼ぼうとした心が行であり、それが極意だと説いた。さらに今日で命数が尽きると告げ、熊嶽の名を与えた。続けて師は、山に残るか、里へ出て僧になるか、長島へ帰って漁師になるかと問うたが、熊蔵は一人では山にいたくない、坊主は好かない、殺生はできないと、どれも退けた。嫁も酒も肉も望むと答えた弟子に、師は笑って衆生済度を忘れるなと言い残した。巻物は臨終まで開くなと命じると経を唱え、風に乗るように滝へ身を投じた。のぞき込むと、師の体は滝壺の横に横たわっていたという。山を下りた熊嶽は、気合で病を治す術をいつしか身につけた。なぜ治るのかは本人にも分からず、押しかける記者には心理作用だなどと答え、やがて気が向けば記者たちに三密を説くようになった。

原典より

身を滝の方に転ずる実川、まるで枯木が倒れるようであった。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))

『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。

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